大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 昭和31年(オ)1065号 判決

判決

上告人

右代表者法務大臣

植 木 庚子郎

右指定代理人

青 木 義 人

星   智 孝

東京都練馬区南町三丁目五八五四番地

神利江方

木島啓子または木島婦美こと

被上告人

宇田川 婦 美

右訴訟代理人弁護士

真 野   稔

菅 井 敏 男

小 島 利 雄

右当事者間の損害賠償請求事件について、東京高等裁判所が昭和三一年九月一七日言い渡した判決に対し、上告人から一部破棄を求める旨の上告申立があり、被上告人は上告棄却の判決を求めた。よつて当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人青木義人、同堀内恒雄の上告理由について。

しかし、医師が直接診察を受ける者の身体自体から知覚し得る以外の症状その他判断の資料となるべき事項は、その正確性からいつて、血清反応検査、視診、触診、聴診等に対し従属的であるにもせよ、問診により外ない場合もあるのであるから、原判決が本件において、たとい給血者が、信頼するに足る血清反応陰性の検査証明書を持参し、健康診断及び血液検査を経たことを証する血液斡旋所の会員証を所持する場合であつても、これらによつて直ちに輸血による梅毒感染の危険なしと速断することができず、また陰性又は潜伏期間中の梅毒につき、現在、確定的な診断を下すに足る利用可能な科学的方法がないとされている以上、たとい従属的であるにもせよ、梅毒感染の危険の有無について最もよく了知している給血者自身に対し、梅毒感染の危険の有無を推知するに足る事項を診問し、その危険を確かめた上、事情の許すかぎり(本件の場合は、一刻を争うほど緊急の必要に迫られてはいなかつた)そのような危険がないと認められる給血者から輸血すべきであり、それが医師としての当然の注意義務であるとした判断は、その確定した事実関係の下において正当といわなければならない。

所論は、医師の間では従来、給血者が右のような証明書、会員証等を持参するときは、問診を省略する慣行が行なわれていたから、堀内医師が右の場合に処し、これを省略したとしても注意義務懈怠の責はない旨主張するが、注意義務の存否は、もともと法的判断によつて決定さるべき事項であつて、仮に所論のような慣行が行なわれていたとしても、それは唯だ過失の軽重及びその度合を判定するについて参酌さるべき事項であるにとどまり、そのことの故に直ちに注意義務が否定さるべきいわれはない。

所論は、仮に医師に右の如き問診の注意義務があるとしても、給血を以つて職業とする者、ことに性病感染の危険をもつ者に対し、性病感染の危険の有無につき発問してみても、それらの者から真実の答述を期待するが如きことは、統計的にも不可能であるから、かかる者に対してもまた問診の義務ありとする原判示は、実験則ないし条理に反して医師に対し不当の注意義務を課するものである旨主張するが、たとい所論のなうな職業的給血者であつても、職業的給血者であるというだけで直ちに、なんらの個人差も例外も認めず、常に悉く真実を述べないと速断する所論には、にわかに左祖することはできない。現に本件給血者田中実は、職業的給血者ではあつたが、原判決及びその引用する第一審判決の確定した事実によれば、当時別段給血によつて生活の資を得なければならぬ事情にはなかつたというのであり、また梅毒感染の危険の有無についても、問われなかつたから答えなかつたに過ぎないというのであるから、これに携わつた堀内医師が、懇ろに同人に対し、真実の答述をなさしめるように誘導し、具体的かつ詳細な問診をなせば、同人の血液に梅毒感染の危険あることを推知し得べき結果を得られなかつたとは断言し得ない。

されば原判決がこの点に関し、「一面職業的給血者と雖も、医師がかかる危険の有無の判断資料となるべき事項について具体的に詳細な問診をなせば、一々答える必要があり、質問に対する反応を見る機会も多く、その心理的影響によつて真実を述べる場合のあることも相当予想される」旨判断したのは、その確定された事情の下において正当とすべく、所論の違法があるとは認められない。所論はひつきよう抽象的にこの問題を論定しようとするものであるから採ることができない。

所論はまた、仮に担当医師に問診の義務があるとしても、この原判旨のような問診は、医師に過度の注意義務を課するものである旨主張するが、いやしくも人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照し、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるのは、已むを得ないところといわざるを得ない。

然るに本件の場合は、堀内医師が、医師として必要な問診をしたに拘らず、なおかつ結果の発生を予見し得なかつたというのではなく、相当の問診をすれば結果の発生を予見し得たであろうと推測されるのに、敢てそれをなさず、ただ単に「からだは丈夫か」と尋ねただけで直ちに輸血を行ない、以つて本件の如き事態をひき起すに至つたというのであるから、原判決が医師としての業務に照し、注意義務違背による過失の責ありとしたのは相当であり、所論違法のかどありとは認められない。

よつて、民訴三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

最高裁判所第一小法廷

裁判長裁判官 高 木 常 七

裁判官 斎 藤 悠 輔

裁判官 入 江 俊 郎

裁判官 下飯坂 潤 夫

〔上告理由〕

○昭和三一年(オ)第一〇六五号

上告人 国

被上告人 宇田川婦美

上告人指定代理人青木義人、同堀内恒雄の上告理由

原判決には、医療における医師の注意義務に関し民法第七〇九条の解釈適用を誤つた違法がある。

一、本件担当医師のおかれた諸条件の下においては、給血者に対する問診の省略が許されるものと解するのが相当であつて、これに反する原判決の判断は、医師に対して不当に過度の注意義務を課した誤りがある。

昭和二十年二月二十二日厚生省令第三号輸血取締規則によれば、採血者(医師又は歯科医師)が輸血の用に供する血液を採取する場合においては、予め健康診断及び(一)血液型検査、(二)血清学的検査、(三)血液学的検査を行うべきこと、ただし、医学上必要なしと認めるときその他特別の事情のあるときは、採取した輸血の用に供する血液について検査を行い、又は検査の全部もしくは一部を省略することができる旨が規定され(同省令第二条第一項)、また、採血者は、右第二条第一項の規定による健康診断又は検査により(一)ばい毒、マラリヤその他輸血により受血者と伝染するの虞のある疾病に罹り又はその疑ある者、(二)高度貧血者その他採血により被採血者の健康に障害を生ずるの虞ある者に該当すると認めた者から輸血の用に供する血液を採取することを得ない旨が規定されていた(同省令第三条)。そして、右輸血取締規則の施行後における、輸血の実際は次のとおりに行われたのである。すなわち、血液斡旋所の会員証は健康診断を行つた上で交付されていたので給血者が会員証及び血液検査証明書を持参して来れば、同省令第二条の検査を経た者であるということができた。かように、その者が採血に適する者であるか否かはすでに検査済なのであるから、採血者たる医師としては、これに信頼して自ら前記省令第三条第一号に関する検査を重ねてすることは省略して同第三条第二号に関する診断又は検査のみを行つた上で採血し患者に輸血することが行われたのである。つまり、血液斡旋所の存在の意義はこの採血直前の検査の省略が許される点に存するものとされたわけである。なお、本件輸血の日である昭和二十三年二月当時には、右輸血取締規則は廃止されていて、これに代るべき新規則が制定されていない時期ではあつたが前記採血の取扱方法に関する慣行は、右規則施行当時となんら変りがなかつたのである。

さて、本件においては、職業的給血者田中実より採血した担当の堀内医師は、同人より会員証及び血液検査証明書を呈示されたこと、右検査証明書では陰性の血清反応が証明され、またその日附は本件輸血の僅か十五日前のものであつたこと及びこの短期間では血液検査後梅毒に感染したとしても血清反応が陽性に転じ又は外顕的症状を発現し得ないのだから堀内医師が輸血の際に視診、触診、聴診の方法による検査をしなかつたことに過失はないこと、は原裁判所の認定されたところである。そして、この場合に、前記慣行に従い血液検査証明書を信頼して採輸血を行つた堀内医師に、果して給血者に対する問診を行うべき注意義務があるのであろうかどうか。原判決はこの点につき問診の価値を重視し、十分の問診を行わなかつたと認定されて堀内医師に対し過失の責を問われているのであるが、この判断については上告人としてとうてい納得し得ないところである。

広く問診といつても、苦患を意識し疾病に対する治療を求めて来た患者についての場合と、疾病の意識なく健康と診断されることに利益をもつ職業的給血者についての場合とでは、全くその意義、効果を異にすることは、多く言うをまたずして明らかなことであろう。患者の立場では医者の発問に積極的に応ずる気持を持ち、また医師に訴えたいと思う疾患の自覚を有しているのであるが、給血者の立場は、これと全く逆である。しかも医師として給血者に対し具体的発問をなし得る足掛り、すなわち何らかの疾患徴候がある場合は格別、そうでないときには、その発問もいわば通り一遍のものにならざるを得ないのは見易い道理である。本件の如く、血液反応が陰性であり、しかもその検査後あまり期間の経過していない場合に、医師として、効果の期待できる具体的発問をどのようにして行い得るのであろうか。さらにまた、とたい医師においていろいろの事項を想像して諸種の発問をしたとしても、果してこの給血者から正直な答を得ることが期待できるであろうか。しかもその発問事項が梅毒感染の機会という、何人も羞恥なしには肯定の答えをなし後ない事柄に関するときは、殊にこの期待を持ち得ないことは明らかといわなければならない。

以上は、あえて医学の専門家ならずとも、一般人の常識として当然理解さるべき条理と思うが、専門家としても同様の意見であるべきことは、別紙東京大学教授緒方富雄博士の意見のとおりである。(本意見書は同教授より参考として上告代理人に提出されたので、本理由書にこれを添付して右主張をふえんするため本理由書の一部とする)

なお、原判決が、「病毒感染の危険の有無を確めるための問診は、具体的詳細な発問をすることによつて、その効果を期待し得べく(当審鑑定人加藤勝治の鑑定の結果参照。)」とされていることからみて、問診の効果を期待し得ることは鑑定人加藤勝治の鑑定の結果によつて認定されたものであるかの如くであるが、同鑑定人の鑑定中には、問診によつて給血者から梅毒罹染または、その機会をもつたことを肯定する答を得た実例が挙げられていないから、同鑑定人の鑑定の結果からこれを認定できる筋合のものではなく、全く、原判決の推論に基くものといわなければならず、この点原審の判断は経験則に違背してなされたものとしなければならない。すなわち、原判決は、問診の価値について、なんらかの実証的根拠の下にこれを肯定されたのではなく、何らの根拠もなく、問診の価値を独断されたのであつて、臨床医学上の実験則を証拠によらずして認定されたものというほかなく、しかもその結論は、一般の常識にも反し、また臨床医学上の実験則にも背反するものなのである。

また、問診によつて、給血者から梅毒罹患の事実をはき出させることが期待できないことは、原審における鑑定人西尾昌雄の鑑定書に「また案外信頼されている親族友人などの血液(梅毒否定の者)ですら梅毒搬入の原因になることが少くない輸血梅毒の報告によると二十九例中親族からの給血によるもの十七例、友人から二例、職業的給血者から十例となつているのが見出すことが出来ます。」との記載があり、また更に「ハツクスワルトが血液銀行の給血者(これ等は梅毒を否定しているもの)三四八七例についてしらべた処七五%がカアーン反応陽性でありました。」との記載があることから明白に知ることができるのである。すなわち、同鑑定書の古の各記載は、梅毒罹患の経験のある給血者がこれについて質問を受けても、それを否定していることを示しているのである。(原判決は、西尾鑑定人の鑑定の結果を措信しないとされているのであるが、これらの記載自体を措借しないとされているものとは考えられない。)

これを要するに、原判決は医療上価値のおかるべきでない本件問診に対する価値判断を誤り、条理に違背して医師に不当な問診義務を課した違法があるといわざるを得ないのである。

二、仮に担当医師に問診をすべき義務があるとしても、その問診の程度内容について、原判決は、医師に対し過度の注意義務を求められている点においても、上告人の首肯し得ないところがある。

本件において、堀内医師が給血者に対し「身体は丈夫か」と発問したことは原判決の認定されたところであるが、それ以上の質問をしなかつた点において医師としての注意義務を欠いたとされるのである。

すでに述べたとおり、医師として給血者に対する問診からは多くを期待し得ないのであり、また発問するにしても罹患を疑うべき何らの事情もない場合には、その発問はいきおい漠然とした抽象的な質問とならざるを得ないことは当然のことである。そして、「身体は丈夫か」と質問し、「女と遊んだことはないか」というような質問をしなかつたからといつても、この後者の質問によつて結果を得られることが期待できるのであれば格別、そうでなければ前者の質問と五十歩百歩である。原判決は、他の発問をすれば結果が得られる可能性があると判断されているが、後者のような露骨な発問によつて果してこの場合に肯定的答えを期待できようか。われわれの常識からすれば、かような期待はとうてい待ち得ない。また、この場合、右以外に結果できる他の適切な発問が一体考え得られるであろうか。原判決の認める可能性は、この場合に肯定し得ないことは経験則上明らかなことといわねばならない。

要するに原判決は医師に対し難きを強い、医師として通常払うべき注意義務以上の過度の義務を課しているものというべきである。なお上告人は、輸血による梅毒罹染が稀有のものであるばかりでなく、血液検査証明書によつて陰性を証された者がその後十五日にして梅毒罹染者として医師の前に現われることは更に稀有のことであることを見落してはならないと考える。このような奇禍に遭遇された被上告人に対しては誠に同情に堪えないところであるけれども、全く稀有の例であることを考慮するならば、本件担当医師として通常の注意義務を尽したものと解すべきであつて、これに過失の責を課すことは苛酷に過ぎるものと考える。

本件は、上告人が、原審においても述べたように輸血の際の医師の注意義務ひいてはその治療方針に関するものとして注目されている案件であり、本件に対する判断は医学界に多大の影響を与えることが予測されるものがあるので、速かに適正な御判断を得たいと切望するものである。 以上

(附属の意見書省略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例